大統領との初の面談は、ルワンダの行く末について五時間にわたっていた。
「為替相場を一本にしても、それがルワンダ大衆の福祉とどう結びつくかわからない。むしろ困窮化の体制を固定し、拍車をかけることにならないかを恐れている。」
「閣下のお話には非常に感銘を受けました。そのようなお考えの実現に及ばずながら協力できることは誠に本懐であります。」
「今日のお話で分かったが、貴方ほど私と同じ基本的な考え方の人はルワンダにはいない。今日は話ができて本当に良かった。」そう言って大統領は電気を付け、ボーイにビールを命じられた。(「ルワンダ中央銀行総裁日記」より)
家に帰って大きな仕事を引き受けたとは思ったが、不思議に気は軽かった。大きな目的のためにやっているのだという解放感に似た気持ちの軽さを感じた。
戦後間もない1965年に、日銀からルワンダへ中央銀行総裁として渡航し、当時、制度が未整備であったルワンダでの通貨改革(二重為替相場制度)及び諸施策を実施し、ルワンダに発展の礎を築いた服部さんの自書です。
今なら「ルワンダ とは」で検索すれば調べられます(大虐殺の事件が出てきますが…)が、記述にもある通り、55年前では調べてもほぼ何も分からなかったようです…ルワンダの宗主国がベルギーだった、コーヒーが主要輸出品目等、知らないことばかりです。
銀行総裁、といっても現日銀の黒田総裁が扱う「インフレ率が…」などの話も少しあります(通貨の価値を変えるのですから…)が、服部さんが派遣された際のミッションは「二重為替相場制度の是非判断と改革」でありました。それに加えルワンダの将来のため、利害関係者であり国の経済・物資供給の骨子となっていた外国商人・商業銀行の折衝、ルワンダ人が富むための苦心、そして発展へ導く施策の実施など、国の実態を着実にとらえ、迅速に(僅か6年で)策定・実践されます。
紹介文で転載した、着任一カ月半後あたりの大統領と服部さんの会話ですが、これにより互いの力量・思想を確信し、信頼関係を築いたことが、改革に成功した全ての基礎となったと感じております。
ルワンダの、服部さんを中心とした立身譚のように読むことができ、その発展に日本の方が力を尽くしているのを読むと、胸が熱くなります。
読んだ後、ルワンダに親近感を覚え、今はどうなのかな、と思ってしまうノンフィクションです。お時間ありましたらどうぞご一読いただければ、と思います。
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